無知雑言

独り言の整理整頓

「許し」について

 

今日、「許し」についてディスカッションする機会があった。ついでだから「許し」について書き留めとく。

※以下は100パーセント個人的見解です

 

許し

 

  1. いつ許しが必要となるのか
  2. 許すとは何か
  3. 許す必要はあるのか
  4. 許しを相手に伝えるべきか否か

 

1.許しは何に対して行われるか

 

許しの前には、許す対象がある。

ここでは、「罪」と呼ぶ。

 

罪とは

罪は、以下のステップで形成される。

・人がある「行為」をする

・そして、自分がそれを悪だと感じるか否かを判断する「評価」がある

・行為と評価が行われ、悪だと判断されたらそれは判断者にとって「罪」となる

 

評価について

この時、「評価」は主観で行われる。

さらにこの主観は、状況でも変化する。

そのパターンは、以下にまとめられる(と思う)

 

・感情によっての判断

→うざい、気にくわない、怒りなど

・理屈によっての判断

→ルールを守らない、自己中など

・その両方によっての判断

 

こうやって判断された行為が罪となり、

罪に対して許しは行われる。

 

2.許すとは何か

 許すとは何か。

 

本人が罪に対して罰を受け、あるいは貢献し穴を埋め、

罪が精算されたと判断者(受け手)が認める事が、許す事である

 

、、、と思う。(というか許すの定義は様々で、本質的な許すとは何かは今回は触れない)

 

3.許す必要はあるのか 

 

結論から言うと、

許す必要はない。

 

感情によって判断された罪

感情によって判断された罪はその感情が消えれば許される。

というか、罪自体が消えるので許すも許さないもなくなる。

 

心理学では、

感情は持続の短い、強い心の作用

(気分を持続の長い、弱い心の作用)

を言う。

 

つまり、一時的な感情はすぐに消え、問題はなくなる

 

理屈によって判断された罪

 

しかし、一時の喧嘩や嫌悪で何年も仲が悪いというケースはよく聞く。

 

感情が原因で根に持たれている罪は、

トリガーこそ感情であるが、

それを保っているのは理屈である。

 

相手に罪があるといいきかせている、

許すのは面子が立たない、

冷静に考えてもいらいらする、

など、これは全て考えを通して形成された罪である。

 

理屈によって判断された罪は、相手に非がある場合が多い。

その人が完璧な論を立てて罪と判断しているかは置いておいて、

実際問題、人にとってマイナスとなる行為をしているのは事実である

 

安易に許しを与えることは、

相手にとっての「行為を罪と認識する機会」を奪うことであり、

相手のためにならない。

 

4.相手に許しを伝えるべきか否か

 

相手に、「許さない」と伝えるべきか否か。

結論から言うと、

 

相手のためを思うなら伝えるべきであり、

 

そうでないなら伝えるべきではない 

 

人の行為は最大限の自由が認められており、

少なくとも自分らの判断で踏み入れる問題ではない。

 

これは、アドラーの「課題の分離」を読んでもらった方が早い。

 

【アドラー心理学】「課題の分離」は人間関係をシンプルにする | ここらぼ心理相談

 

 

まとめ

 

そもそも行為を罪と感じなければ許しは大きな問題ではない。

冷静な判断で正しい評価をしてほしい。

それでもなお罪となるならば、自分が相手に何を求めるかで判断し行動しよう。

 

以上