長めのつぶやき

全て個人的な意見です。でも、個人的な言葉にこそ価値があると思っています。

議論の本位

無駄な議論をしている人が多すぎる。

と言うか、議論が何かをわかってない奴が多すぎる。

ただの話し合いならばいい。

フリートークとしていろんなことを話せば、話が飛ぶことで思わぬ発見ができることが多々ある。

しかし、

それを公式な議論(会議の事)でされるとたまったもんじゃない。

長い意味のない話を聞かされ、なんの結果も出ない時間が過ぎるだけだ。

 

と感じるので、昔読んで未だ記憶にある、

福沢諭吉の「議論の本位」と言うのものに付いてまとめる。

 

福沢諭吉は、『文明論之概略』の大一節で「議論の本位」について述べている。

(ずっと学問のすゝめに載ってると勘違いしてたのは内緒)

以下に、ネットで見つけたわかりやすいまとめ(?)を引用する

(下に結局もっと短くまとめるから読み飛ばしていいよ)

 

「軽重や善悪、是非などはあくまで相対的なものであって、相対的により重であり善であるものを、議論の本位とする。

 この議論の本位を定めなければ、その議論の対象の利害得失を議論してはならない。

 議論の本位を定めずに、無意味な議論を続けているものには以下のようなタイプがある。

 ①主張するところは同じだが、その根拠が異なるもの

 ②ことの利害を論じるときに、互いに相手方の極端な場合をもち出して、それを否定しあうもの

 ③正直と頑固、利口と軽薄のように、人の一つの性質には表裏があるが、互いにその欠点の部分を非難しあっているもの

 これらの弊害を除くには、人と人の交際が最も有力な手段となる。

 なぜなら、さまざまな人と交際するうちに、その欠点だけでなく長所も見えてくるからである。

 そもそも、議論というものは、各人の意見を述べたものなので、一様であるはずがない。

 ものごとの利害得失を議論するには、先ずその軽重是非を明らかにしなければならない」


上に挙げた三つの無意味な議論の例は、全て相手に対する無理解から生じています。

いろいろなところで述べられていることですが、特に議論をするときには、多様な価値観という前提を理解することが必要です。

文明論之概略 第一章:議論の本位を定る事』(https://blogs.yahoo.co.jp/tetorarukia/45176971.html__ysp=6K2w6KuW44Gu5pys5L2NIOOBqOOBrw==)

 

 

長い?もっと短く言うと、

 

議論するときは:

・何に付いて議論しているのかをはっきりさせろ

・それに関係しないものは話すな

・多様で、時には本位を逸れる意見は多様な価値観から生まれるってことを理解しろ

 

ということ。

 

つまり、議論する時には、

なんの話をして何を決めるために話してるのかを明確にして、それと関係ないことは話す必要がないと言っている。

 

それを理解し実行するだけでだいぶ変わるはず。