長めのつぶやき

全て個人的な意見です。でも、個人的な言葉にこそ価値があると思っています。

小さい頃、永遠のように感じた夏休み。

友達と2人で、数百円握って

自転車で少し離れたスーパーでお菓子を買って

秘密基地で分けてたべた。

今よりずっと狭い世界だったのに、

今よりずっと広く感じてた。

今年の夏もそいつと会うから、

少し昔みたいにワクワクできるといいな。

議論の本位

無駄な議論をしている人が多すぎる。

と言うか、議論が何かをわかってない奴が多すぎる。

ただの話し合いならばいい。

フリートークとしていろんなことを話せば、話が飛ぶことで思わぬ発見ができることが多々ある。

しかし、

それを公式な議論(会議の事)でされるとたまったもんじゃない。

長い意味のない話を聞かされ、なんの結果も出ない時間が過ぎるだけだ。

 

と感じるので、昔読んで未だ記憶にある、

福沢諭吉の「議論の本位」と言うのものに付いてまとめる。

 

福沢諭吉は、『文明論之概略』の大一節で「議論の本位」について述べている。

(ずっと学問のすゝめに載ってると勘違いしてたのは内緒)

以下に、ネットで見つけたわかりやすいまとめ(?)を引用する

(下に結局もっと短くまとめるから読み飛ばしていいよ)

 

「軽重や善悪、是非などはあくまで相対的なものであって、相対的により重であり善であるものを、議論の本位とする。

 この議論の本位を定めなければ、その議論の対象の利害得失を議論してはならない。

 議論の本位を定めずに、無意味な議論を続けているものには以下のようなタイプがある。

 ①主張するところは同じだが、その根拠が異なるもの

 ②ことの利害を論じるときに、互いに相手方の極端な場合をもち出して、それを否定しあうもの

 ③正直と頑固、利口と軽薄のように、人の一つの性質には表裏があるが、互いにその欠点の部分を非難しあっているもの

 これらの弊害を除くには、人と人の交際が最も有力な手段となる。

 なぜなら、さまざまな人と交際するうちに、その欠点だけでなく長所も見えてくるからである。

 そもそも、議論というものは、各人の意見を述べたものなので、一様であるはずがない。

 ものごとの利害得失を議論するには、先ずその軽重是非を明らかにしなければならない」


上に挙げた三つの無意味な議論の例は、全て相手に対する無理解から生じています。

いろいろなところで述べられていることですが、特に議論をするときには、多様な価値観という前提を理解することが必要です。

文明論之概略 第一章:議論の本位を定る事』(https://blogs.yahoo.co.jp/tetorarukia/45176971.html__ysp=6K2w6KuW44Gu5pys5L2NIOOBqOOBrw==)

 

 

長い?もっと短く言うと、

 

議論するときは:

・何に付いて議論しているのかをはっきりさせろ

・それに関係しないものは話すな

・多様で、時には本位を逸れる意見は多様な価値観から生まれるってことを理解しろ

 

ということ。

 

つまり、議論する時には、

なんの話をして何を決めるために話してるのかを明確にして、それと関係ないことは話す必要がないと言っている。

 

それを理解し実行するだけでだいぶ変わるはず。

値札

孤独からしかいいものは作れない

そう言う人もいる

 

自分の信念や哲学をさらけ出すと、

それをバカだと嘲笑うやつも、否定するやつもでてくる 

出る杭は打つ風潮もある

そういう意味で、確かに孤独かもしれない

 

でも、実績、実力が認められてる奴の言葉はみんな聞く

元々はバカにしてたのに、そいつが出世すると手のひらを返すやつもいる

値札の付いたものにしか価値を感じない大人はたくさんいる

 

だけど、実力の基礎となるのは哲学であるはずだ

だから、恐れずさらけ出せばいい

コメ欄の悪口なんて気にしなくていい

一人の人としてきちんと評価してくれるやつもいる

恐れずさらけ出したその哲学がいつの日か実力になる

 

アスナロウ

みんな欠点がある
誰も完璧じゃない
罵詈雑言も浴びる

びびって耳塞いで隅っこにいても、
関係ねぇと突き飛ばしてもいい
でも、しっかり聞いて、
直す所は直すし、
突き通す所は突き通した方がいい

そうすれば全ての悪口を糧にできる
それを受け止めるのが人の広さだと思う

共存

「Coexist」のディスをしたから、簡単にいうと:

 

相手は心の中にいる。

自分の心の中にある相手と、今見ている相手は違うかもしれない。

だから喧嘩する。

だから、相手が目の前にいなくても、一緒にいると感じる。

 

僕は孤立する存在だ。

みんなもそう。

だから共存する。

 

みんな、自分の好きなように生きてる。

みんな、自由に生きたい。

 

だけど、自由だけじゃ生きられない。

平和でいられない時もある。

でも、だからこそ平和でいたいと思うし、

お互いに存在を確認しあえる。

お互いの存在を気にしないだけじゃ、

共存はできない。

 

みんな、一人の存在だから、互いに抱きしめ合う。

「理解」と「同意」

抽象的、あるいは具体的な問題についてディスカッションするときには、理解と同意を分けて考える必要があると思う。

理解と同意は全くの別物。

 

【理解とは】

理解とは、相手の言った内容(構造や定義)を、自分でさらにわかりやすく説明出来る事。

ちなみに、英語の"understand"がこれにあたる。

 

【同意とは 】

相手の言った意見を理解し、自分も同じ意見だということ。

英語の"agree"がこれにあたる。

 

【一緒にしてしまうと】

理解と同意を一緒にしてしまうと、

理解できたから同意したと勘違いしたり、

逆に理解できないから同意できないということが起きる。

 

本来、同意も反対も理解の上に成り立つべきである。

 

【理解は必ずする】

同意は必ずしもする必要がない。特に、何かについて議論するときはなおさら。

しかし、理解は必ずする必要がある。

理解をしていないと、否定も反論も同意もできない。

 

理解した上で、同意、反対の判断をする。

 

I understand, but I disagree/ I agree.

と、英語は自然な文章の流れでこれを実行するから

この、理解→判断の流れがわかりやすい。

 

 

「、」に学んだ、発言の具体性

初めに言っておくが、今回は読点「、」の詳しい使い方は説明しない。ググってくれ。

「、」から学んだ具体的に話すにはどうするか、陥りやすいミスは何か、について話す。

 
  1. 読点「、」の使い方
  2. 主語の重要さ
  3. 文章の長さ
  4. あれ、それ、どれ?
  5. 習慣にする
 
【読点「、」の使い方】

 

読点の使い方なんて初めて調べた。

なんとなくの使い方は分かっていたはずだが、

主語の後につけるべきか否か

がわからなかった。

 

例えば、

「私は授業を抜け出して飲み物を買いに行った」

なのか、

「私は、授業を抜け出して飲み物を買いに行った」

なのか。

 

正解を言ってしまうと、

どっちでもいいらしい。

 

ごめん、厳密には調べてないから正式にはどうなのかわからないけど、少し調べた限りだとどっちでもいいらしい。

 

でも、

長い文章の時、あるいは主語がわかりずらい時には、主語の後に読点をつける。

らしい。

 

個人的には、

主語の後に文章が長く続く場合はつけるべき

だと思う。

 

読点は、話の区切りや、

主語をわかりやすくするためにつける

 

【主語の重要さ】
 

意外とみんな、主語を抜いて話している。

日本では、「阿吽の呼吸」があり、なんとなく察する力が日本人にはある。

 

だから、会話で

「今日飲んできたんだ」

と言っても伝わる。

文字で見ると誰が飲んできたのかわからない。

「俺今日飲んできたんだ」なのか、「お前今日飲んできたんだ」なのか。

 

普通に話してると、主語をないがしろにしがちだ。

だから、読点で主語をわかりやすくしようとする人も少ないし、読点の使い方なんて気にしない。

 

でも、ESや志望理由書などの文章、ディスカッションやディベートなど内容を明確にする必要がある場合はそうはいかない。

 

「怒りの解決策」について話している時、

「妥協が必要だよね」と言ったとする。

 

何を妥協するのか?さっぱりわからない。

「感情について妥協する必要がある」

というべきだし、

どう妥協するのか?もわからない

「感情を、人間の生理現象で起きるのは仕方ないと妥協が必要」

というべきである。

 

上のように、主語を加えて話すと、自ずとさらに具体的な内容が付け足される。

 

【文章の長さ】

 

読点について調べていた時に、こんなものもみつけた。

 

上手な文章テクニックは文章のプロに学べ!ってことで、プロのライター・記者が書いた美しい文章をいくつか選び、それぞれ「一文の文字数」と「一文の読点の数」について計測し平均値を出してみました。それが下記です。

●一文の文字数=52.2文字
●一文の読点数=1.49個

つまり、1つの文は約50文字で書かれており、1つの文中に1〜2個の読点が使われているということですね。
(↑ちなみにこの一文がその黄金比率になっています。)

(http://ebloger.net/punctuation/)

 

自分が昔、小論文と志望理由書の塾に通っていた時、講師も同じことを言っていた。

毎回、

小論文における文章は一文50文字で書いていた。

 

書いて見るとわかるが、50文字という長さは短くて長い。

 

盛り込みたいことがたくさんある時には短く感じ、よく理解していない、あるいは特に話すことのない事にとっては長い。

 

50文字という長さは、1つの主語に対して適切な具体性を持ちつつ冗長にならない、ちょうどいい長さである。

(ちなみに上の文章が50文字に2つの読点、黄金比)

 

【これ、あれ、それ、どれ?】

 

一文に主語1つ、初めの句読点の前に主語が来る。

初めの主語はその文が何について書かれているかを示す最も重要な単語とも言える。

 

そこでよく、

「これについては、〜」

「それは、〜」

 と、「これ、あれ、それ」などを使うミスをする。

 

単純は文章の場合はいいが、

具体的にする必要がある文章、内容が深い文章の場合は避けるべきである。

 

理由は単純に、「これ」が何を指しているのかわからない。

つまり、主語が不明瞭だからである。

 

(俺もたまに使ってるけど、怒らないでね)

 

 

とは言っても、主語が長いときはいいんじゃないかと思おう。

というのも、「スーパーチキチキマシン」が主語の時に、

毎回「スーパーチキチキマシンは、」「スーパーチキチキマシンが、」というのはうざい。

特に文字数指定のある場合は無駄である。

 

この場合は「この装置は、」に置き換えるのが好ましいと思う。

しかしやはりここでも、

「この」の後に「装置」とつける事で、

「スーパーチキ(略」を指している事は明確にしよう。

 

【習慣にする】

これらを習慣にするのが大切である。

 ほら、「これら」って何だよってなるでしょ?

 

言い直します。

主語を明確に提示し、具体的な内容をわかりやすい文で示す事を習慣にするのが大切である。

 

読点については、ほとんどの人は意識せずにある程度正しく使えているだろう。

主語を置くことは、文章を書く時にはできていると願う。

1文50文字や、主語を明確にする事は、訓練すれば習慣になる。

 

自分も、例の塾に行っていたおかげで、少し意識すれば1文50文字を文字カウンターなどを見ずにかける。

 

習慣にすれば、具体的に話さなければいけないシーンにすぐに対応できる。

そういったシーンは少なくない。

 

読点を意識すれば具体的に話せるんじゃないか?

 

以上